2018.11.18 Sunday
クラプトン。
JUGEMテーマ:日記・一般
クラプトン。彼がプロになっての演奏はヤードバーズ(Yardbirds)というグループで1963年が初めです。18歳。 其の時のヒットの名前は「フォーヨア・ラブ」と言う曲。 バンドの名前でのヒットでしたがギターはクラプトン。 その後に「ジョン・メイオールとブルーズバンド」。 バンドは有名でした。 でもやはりクラプトンの名前は表にはまだ出ていませんでしたが、業界では認められて始めたのでしょう。 そして彼は1966年にたった21歳(45年生まれ)でクリームというバンドを作り衝撃なデビュウをしたのです。「タららら、、タッタタ」を世に出たのです。 衝撃なバンドで業界のみでなく世間は驚きました。 クラプトンは世界に知れ渡ったのですね。 曲もそうでしたが3人でバンドが成り立てたの事です⦅注ー1)。
其の後。1969年(24歳)に次でした。 トラフィックの誰だったかを入れて作ったブラインド・フェイス( Blind Faith) というバンドは試みでしたでしょう。でも衝撃も人気は出ませんでした。
そして、新しく行き着いたのがデリックとドミノズ(Derick and the Dominoes)でギターを弾きながら謡い始めたのです。(注ー2)。 発表したのが「レイラ」で全国で大ヒットでした(注ー3)。
私はこのバンドのデブユーをニューヨークの「フィルモア・イースト」という劇場でみました(注ー4)。
色々記載しましたが、多少は違うかもしれません。 細かい事は検索できますね。最近では検査でも間違いやいい加減が多いでしょう。 細かく検索してみてください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−:「 注ー1.それまでの常識ではバンドとは4人が必要でした。 ドラム、リード・ギター、ベースの3人の他に4人目のリズムが必要とされて第二のギターがいつもいました。 でも彼のバンドは三人でリズム・ギター無し。つまりリード・ギターのみでリズムまでまかなえる事が出来て居たのです。 既成観念を打ち破った事も世間を驚かせたのです。 同じころにはジミー・ヘンドリックスも台頭してきた事は検索して下さい。。 注ー2.彼は謡いたかったのが歌えないので、テリック・ドミノのボニーレイトに習ったといわれています。 70年にフィルモア・イーストで初めて謡うデビューをはたしたのです。 それを診ていた私はそんな事は後日まで知りませんでした。 注ー3.3年も経って1974年にレイラが日本で発表され大人気。遅れていたと言えますね。 |