小澤 ニューヨーク

文化の違いから考える
想定外という詭弁。
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想定外」という言葉は4年前に福島原発の人間が使った言葉で、その後も度々当たり前のように使われています。 
私はこの言葉とその使い方にずっと納得が行きませんでいました。理由は次です。

 まず、東日本震災の3年前,2008年に研究者の一人から「震度9の地震がきたら15メートルの津波が起こって厳罰が駄目になってしまう」と言うはっきりとしたレポートが出されていました。 しかし、首脳陣は「そんなのは想定に想定を重ねた物で起こりえない、、、、、」として却下したのです。 ですからちゃんと想定出来て居たに関わらず、事後には其れを隠して地震をあくまで「想定外だった」で押し通した人間は嘘つきであり無責任ででした。 そして誰も其の責任、罪を追求されませんでした。 そのまま今日にいたり、今度は屋上のたまり水からの汚染を10ヶ月にわたりの隠ぺいです。 当たり前のように嘘が通されているこの体質には病的で常識の域を超えて居ると言えます。

 次に「想定外」という言葉を「人道支援」(3月1日のブログ)と共に考えてみました。
「想定」とは想像であります。いくらでも無限に延ばして考えてみる事である筈と思います。ですから其れの枠の外なんて概念は当てはまらない筈と思いました。で辞書を引きました。 
 広辞苑には「ある一定の状況や条件を仮に想い描く事」とあります。 やはり私の思った通りです。いくらでも仮に設定できるのですから、想定外という言葉は矛盾します。 想定は無限で枠がないのですからその「外」なんて概念は無いのです。間違った言葉で間違った導きをしている日本の首脳陣や政府にはあきれたものです。

PS. つまり彼らが言いたかったのは「自分達の想定出来た枠の外」という意味でしょう。そうです、この人達の想定は限られているという欠陥があるのです。
 
| ozawany | 日本語の意味 | 21:13 | comments(0) | - |
「日本人」になることは難しい。 「アメリカ人」なら簡単。 
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日本人」と言う言葉は日本人にとって都合よくつかわれます。
無意識に「アメリカ人」という外国人にたいしてつかう言葉とは違う枠をもっています。

まず、次の人達の場合は日本国籍であっても日本人じゃじゃないと見られてしまうのです。
(1)。「ハーフの顔をした人」の場合。 日本人の顔でなければ日本人ではないと思われます。 ハーフである場合、国籍が日本であっても日本人じゃないと見られる事が多いのでしょう。純粋じゃないから日本人じゃないとです。 
(2)。「日本語がちゃんと喋れない」場合には、日本人じゃないとおもわれます。
(3)。「日本人の姿なのに、先祖が韓国の場合には日本人じゃない」と視られます。国籍が日本であってでもです。
(4)。国際学校に通っていると日本人じゃないのじゃないかと聞かれます。日本人が日本の学校にゆかずに国際学校に行く理由がない、と見なされたりします。

 そうです、「日本人」であるには、又日本人をみなされるにはそのために必要な事があるのです。それは見かけであったり、日本語の完璧さであったり、素振りであったり、先祖でもあったりするのですね。 これは、米国では差別とみなされるのですが、日本ではあたり前でもあります。 

 一方、日本人はアメリカ人に対しては寛容です。白人の顔をしているアメリカ人でありばアメリカ人として疑いません。 アメリカから来た人ならアメリカ人なのです。、
又、このアメリカでは東洋人、黒人、ヒスパニックであっても、アメリカ市民ならアメリカ人となりますから、日本人もその人達をアメリカ人と呼びます。

つまり、日本人が自分達の事を「日本人」と言う場合には国籍の事を言っている事じゃない場合が多く、日本民族という仲間、内側の人というような意味に使われるのです。
一方、「アメリカ人」や「何々人」という場合はその人の国籍がアメリカであれば「アメリカ人」で、その他の「何々人」で終わるのです。
つまり、日本人が日本人という場合とアメリカ人という場合には、無意識に言葉の意味の違いをもたせて使っている事が多いでしょう。 

追: 街角で日本人がよく「日本人は、日本では、、、アメリカ人はアメリカでは、、」という議論をしています。 ちょっと間違いそうな表現ですね? 「アメリカ人」 とか「アメリカは」という表現を使う事には気をつけましょう。
| ozawany | 日本語の意味 | 01:16 | comments(0) | - |
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