小澤 ニューヨーク

文化の違いから考える
超早期教育の害。 気づきましょう。
超早期教育の害について週刊文春にかいてありました。
週刊誌の記事であって、専門誌じゃないのでが一応ちゃんとしたソースが載ってましたので少しは参考にできるでしょう(注ー1)。 

それは0−3歳児を相手にした「超早期教育」を受けた子供の中に、奇声を上げたり、壁に向かって念仏を唱えるようになる子が出てきたというのです。
「早期教育を受けた子供は小学校3−4年生までぐらいは成績がよいが、その後息切れしてしまう。 反対に子供の発育に応じた育てられ方をして、たっぷりと遊びころんでいた子供がグングンのび始める。」と伝えてました。

思えば、概念を会得するのは小学校3年の頃です。 掛け算、そして難しい概念の分数。 この頃から抽象的な考えがそなわるのですね。 それまでは自由でのびのびとした環境をあたえ、肥えた下地を多く作っておく方がよいということでしょう。

槍玉にあげられてるのは、七田式。 
知りませんでした、教室が450もあるそうです。 多いのは役に立たない塾や英語教室ばかりとおもっていたら、こんな商売もはやってるのですね。 乗せられてる人達はかわいそうですね。

フラッシュ・カードで難しい漢字などを覚えさせたりするらしいのです。 
知識の詰め込みと脳の働きの促進との思い違いでしょう。

私事で恐縮ですが、三歳までは、私は親の温かみだけが必要とおもっています。 
ナーサリーを選ぶ時にも温かさの感じられたところにしました。
幾つもの有名なところは、子供に対する熱心さや温かさより、自分たちの教養や履歴ばかりを前にだしていたので鼻についたのです。 親達に媚びてる様に思えたのは私の間違いでしょうか?

先日ゴルフ場に寄った時に突然息子がゴルフをしたいと自分からいいだしました。 やらせてみると、熱心なので続けさせてます。 
本人は分かるのでしょう。 自分が何をしたいか何があってるか。

モンテソーリーは言ってます。 子供は自分に何が必要が知っている、と。 
子供は自分がなにを学ぶべきが知ってるようにそれを求める、と。 
そして、親はじっと観察してあげると、子供に何が必要がわかる、と。

私は20年後をたのしみにしてますが、さて息子の人生はどうなるのでしょう、、、。
どんな親も子供の幸せを願っているのでしょうが、これだけは解りません。 
私はにできる事はあまりないのですが、一つだけ約束できる事は、息子の力をいつも肯定的に「必ず、いつも、大丈夫。出来る」と信じてやる事です。

注ー1.慶応大学医学部小児科、講師、渡辺久子。 東大名誉教授、汐見稔幸(何の教授か書いてません) 「くもん子ども研究所」の調査の結果の引用。 徳島大学総合化学部教授、佐野勝徳著書からの引用。 




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| ozawany | 幼児と母親 | 22:55 | comments(0) | - |
人に懐かない幼児。 親と子供。
初対面でしたけど、人懐っこさがなく、表情の変わらない2歳児に会いました。

私は気分でも悪いのか、初めての場所になれなくて人見知りしてるだけかなと、別に気にせず声をかけていると、次第に反応して答えるようになりました。 暫くして、外の小鳥の鳴き声が聞こえてきたので真似をしてみると、小鳥に興味をもったのが分かり、表に誘うと付いてきました。

すかさず母親があわてては走って来ました。 
「どうして、貴方にそんなに懐いてしまったのでしょう? この子は誰にも懐かないので知らない人について行って誘拐される事は無いねー、なんて話しているんですよ。 なのにどうして貴方には付いていくほど懐いて仕舞うのですか? ビックリです」と。

私の方がビックリしました。
おかしな事ですね。 幼児は無垢です。 優しく接してくれる人なら笑顔を見せて反応するのが自然です。  ごく自然で無垢の心になって気を向けると、必ずこっちに気を向けてきて懐くのが普通です。   

この母親はすこしショックを感じていました。 自分でないとこの子はダメなんだと思っていたそうです。

私は赤ん坊の時から既に何匹かの犬や猫に囲まれて育ちました。 にわとり、文鳥、はと等も居た事も有りました。 裏山から捨て犬を連れて帰ってくる私を母親は怒らず受け入れてくれました。 拾ってきた犬を抱いて寝る事も許してくれました。 母親は仕方が無い時は、何とか私に分からないように保険所に連れて行く事もしばしばだったようですが私はいつも動物を求め動物と接していました。

受験勉強の最中で苦しかった思春期の頃、散歩に連れて行った犬は一番心が和んだ話し相手になってくれました。 

私は犬に教えられました。 犬はいつも私に明るくじゃれて来て、遊ぼうよ、と飛び回って私を放さないのです。 塞ぎこんでいようが、憂鬱であろうが、私の犬はいつも私を喜んでくれたのです。 私に懐き、私を求めてくれたのです。 一緒に居よう、と。

米国に渡ってからも、やはり犬から学ばされました。

英語しか分からないアメリカの犬を最初どう接していいか解らず、どうしても意識的に成ってしまったのです。 「こっちへおいで!」見たいな呼び方をしても、どうしても自意識が出るらしく、どうしても過去の日本の犬のような反応を引き出せなかったのです。 仕方が無く 黙って周りの人の様子をうかがっていると、気持ちだけで犬が反応する事に気がつきました。 結局、言葉はいらなかったのです。 いまでは向こうから寄って来る事も多くなりました。
飼い主がビックリする事は珍しく有りません。

そして大人になってから小さな子供に接する機会が多くなリ、最初は戸惑いました。 でも、すぐに気がつきました。
幼児や子供は、動物と同じように私の気を感じ取るのです。 全く自意識の無い気、つまりまったく白紙の気持ちを向けるを向こうも気を向けてくる事が。。。。 すると子供と私の間に世界が広がります。 なにを喋ろうかなんて考えなくても、自然に言葉は流れ出します。 子供と子供はそうやって喋ります。 言葉なんて間違っていても、喋り合い、笑顔を見せます。 微笑ましいですね。

最近、母親や子供に無邪気さというか、純粋さを言うか、人を無条件で信じる事が出来ない、というか、しない様にみかけられるのは、私の誤解か偏見でしょうか?

人々は自分がは大人と思っています。 でも、本当は子供でもあることを忘れてはいけないのじゃないでしょうか。 貴方は、貴方の親の子供である事は永遠ですよね。

前記の母親に聞いてもらいました。 貴方は、何時までも子供なのじゃないでしょうか? そして、母親の役が出来、やがておばあちゃん役もしなければならなくなりますが、貴方は何時までも子供である事は変わりないのじゃないでしょうか? と。

核家庭になり、爺さん婆さんと接する感覚が変わってしまったのが日本じゃないでしょうか。 

私は、長年両親と離れて過ごしました。 気がつくと、両親は年老いていました。 

やがて、二人とも去ってしまいました。

私は、何時までも子供でいたかった。 そして時折。両親に会いに行く人生をずっとつ付けられる物と勘違いもしていました。 

気がつくと、私は、親という大人の役をしながら、子供でもあるる自分に気がつき、愛情は永遠である事に喜びを見いだしました。

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| ozawany | 幼児と母親 | 15:44 | comments(0) | - |
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